タスク管理・タスクマネジメント・マネジメント

自分は果たしてタスク管理(ツール)でどこまでプロジェクト管理をしているのかな?ということを疑問に思いつつ、タスクマネジメントなどについて考えてみました。


プロジェクトといっても、PMBOKのプロジェクト、GTDのプロジェクト、組織的なコンテキストとしてのプロジェクトと様々です。そしてGTD的なコンテキストとしてのプロジェクトは2種類あるように思えます。


   ボトムアップ
    目的としてのプロジェクト
    「望んでいる結果」=複数のアクション=プロジェクト
   トップダウン
    手段としてのプロジェクト
     ビジョン(構想)(3〜5年後を見通す長期的な視点を持つ)に対する手段

 

1年より長い展望については、未来の目標を考えたときに今できることは何か、と考えることが大切(中略)そのために自分の長期的な目標は何か。その目標を達成するためにどんなプロジェクトをやるべきか。

 

マネジメントはドラッカー先生に尋ねるのが良さそうな気がしますので、ここでは素人的な感覚にとどめますが、管理が決められた目的・目標に対して従属的に活動するものに対して、マネジメントは活動をするなかで必要とあらば目的・目標まで含めて働きかけるように思えました。


これを踏まえてタスク管理は、発生したタスクを対象にして、いかに活動するかであり、タスクマネジメントはタスクの発生までも含めて活動する。ちなみに、GTDGTDの5つのステップだけだと情報整理の一部としてタスク管理ですし、高度モデルまで含めるとライフマネジメントの一部としてタスクマネジメントとなり、両方を合わせ持つように思えます。そして、ジャンルとしてのタスク管理としては、タスク管理もタスクマネジメントもGTDもプロジェクトもビジョンも含んでいると思われます。

 

「なぜ、タスクを管理するのか?」の問いに、タスク管理的には「そこにタスクがあるから」でいいですが、タスクマネジメント的には、その回答ではどうもダメでそうな気がします。そのタスクの成り立ち、なぜタスクなのか、そういった領域にまで踏み込むのがタスクマネジメントのように思えます。

タスク管理の実際は、やること管理ではなく、やらないこと管理

genbu60.hatenablog.com

 

前回の記事の続きで、タスク管理は能力を向上させるわけではない - タスク管理のScrapboxより

 

この問題を別の視点から眺めれば、「タスク管理ができるようになる」とはどのような状態を指すのか? です。

(中略)

別の言い方をすれば、「タスク管理そのものが超人幻想にブレーキかける効能を期待できる」なら、それを最大化するためにはどうすればいいか、という問い立てにもなります。

 

思うに、タスク管理ができている状態というのは、自分でやると決めたことが全てできている状態ではなく、自分のキャパ以上のことを今はやらなくていいと思える状態なのではないかと。


やること、やりたいことに限りはなく、そこで重要になってくるのは、それら有象無象が自分や環境を鑑みて今はやらなくていいと思えるように管理すること。つまり、タスク管理の実際は、やること管理ではなく、やらない(やれない)ことのために管理するのが主であるのではないかとの仮説です。

 

タスク管理を、やること管理ではなく、やらない(やれない)ことのために管理することを主として組み立てることで、自分から自分、自分から他者(家族、同僚、上司、部下など)、他者から自分に対する、自主的・強制的含めた、その超人幻想をぶち殺す(壊す)(まではいかないまでも)、何かしらの足がかりにはなりそうです。

タスク管理は二度始まる

genbu60.hatenablog.com

 

前回の記事の続きで、タスク管理で「やればできるを作る(ちょっと言い過ぎ?)」、タスク管理で「自分探し(どこか別のところに探しに行くのではなく、もともとある自分に気づく)」というのと絡めても考えられそうです。

 

タスク管理は能力を向上させるわけではない - タスク管理のScrapboxより

やるおわでは、ある種の超人幻想への戒めとして、上のようなフレーズを置いてあります。

「自分ではないものに変身できるという期待感」→自分の置かれている環境を無視してしまう

 

なんとなくですが、タスク管理そのものが超人幻想にブレーキをかけるという面もありそうです。

 

最初は確かに、タスク管理に「自分ではないものに変身できるという期待感」を抱いたとして、タスク管理を始める。一度目のタスク管理の始まり。

 

タスク管理ができるようになる(できてくる)ほど、「ああ、降りかかってくるあらゆる「やること」ができるように」はならないのだなと気づかされる。そこで、タスク管理もやはり(他の自己啓発書にあるよくある手法と同じように)ダメだったかと手放してしまうのではなく、そこから再び(自分や環境を土台とした)タスク管理を始める。

 

つまり、タスク管理は二度始まる。

タスク管理は能力を向上させるわけではない、されど自分の能力を知る

hochebirne.hatenablog.com

 

記事を読んでやるおわ(「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書))を思い出しました。

 

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)

 

 

タスク管理幻想p.208

タスク管理をすることで、何かができるようになったとしたら、それはもともとできることが、できるようになっただけです。

 

タスク管理は能力を向上させるわけではない - タスク管理のScrapboxより 

タスク管理は能力とは関係はなく、タスク管理で何かをできるようになったことがもともとできることであるならば、タスク管理は、能力を見つける方法にもなりえると言えそう。

 

もともとできることだったのに、それに気づけていない状況があったとしたら、それをタスク管理で気づけることにはなりそうです。

 

井の中の蛙うんぬんではありませんが、タスク管理は能力を向上させるわけではない、されど自分の能力を知る(見つける)

目的・戦略・戦術

目的・戦略・戦術 - タスク管理のScrapboxより

 

タスク管理が目的・戦略・戦術のどこに当てはまるのかは、その人がどこまでをタスク管理(システム)として設計・運用しているかによるような気がしました。

 

人それぞれのGTDにバージョンがあるのではないか - タスク管理のScrapboxではGTDとして挙げましたが、GTDをタスク管理と読み替えてもいいかもしれません。

 

タイムマネジメント(時間術)としてのタスク管理

  • 戦術寄り

タスクマネジメントとしてのタスク管理(これはトートロジーに近いですね)

  • 戦略と戦術の中間?

ライフマネジメントとしてのタスク管理

  • 目的・戦略寄り

 

タスクマネジメントを包含した新たな概念 - タスク管理のScrapboxとも関係してきそうです。

 

タスク管理を目的・戦略まで含めて大きく作るか、含めずに小さく作るか。大は小を兼ねるように大きく作っておけば、小さくも使えるのかなとも思います。

自分観察日記としてのタスク管理

子供が幼稚園だった頃に、ことあるごとに幼稚園で花を植えた植木鉢をもらってきていました。それをみて、そういえば小さい頃に観察日記なるものをつけていたことを思い出しました。タネをまいてから何日後に芽が出たとか、水をどれだけあげたとか、その日の天気がどうだったのか、などなど。

 

長じてタスク管理をするようになり、はて、これは自分観察日記の様相だなと思ったしだいです。例えば、昨日、しっかり睡眠を取っていないから今日はあまりタスクをこなせないだろうや、この間、午後からこのタスクをやろうとして結局手をつけられず居残りタスクになったら今日は午前中に手をつけよう、などなど。

 

その観察の積み重ねが、自分の成長や変化に気づけることにも繋がり、より精度の高いタスク管理に繋がります。自分に期待しすぎず、かといってまんざら捨てたものでもないと思える程度には自分に課すことができる適切なタスクがどういったものなのか、その昔、鉢に植えた植物が育っていくのを長い目でみていたように自分自身に目を向ける様を思い浮かべました。

大切なことはタスク管理が教えてくれた

タスク管理をOmniFocusでやるようになって6ヶ月程度経ちました。タスク管理にバレットジャーナル、TaskChute Cloud、たすくま等のいろんなツールを使ってきました。これまでと比較すると結構長く使っているツールの一つになりました。

 

大抵のタスク管理ツールが忙しい時には手放していたものですが、よく使い続けてこれたものだと思います。その間、苦楽を共にしたOmniFocusであり、GTDに本格的に取り組み、高度モデルまで組み込んだあたりから自分の分身のように思えます。

 

タスク管理(ツール)の使い始めは、おぼつかない使いこなし方でのよちよち歩きから始め、そのうちシステムとして成り立つようになるのは、さながら立って一人で歩くようになり、そうして自分の人格を映し出して、自立し、自我を目覚めさせる(後半は、なんだかSFのようなノリですが)。

 

そうしていると、表題の「大切なことはタスク管理が教えてくれた」という何匹目のドジョウになるのかわからない言葉の考えに至りました。しかし、よくよく考えてみるとタスク管理がただ教えてくれるのではなく、自分自身がタスク管理を通じて自分という者を教えてくれている。そのような意味を込めて、大切なことはタスク管理が教えてくれたように思えます。