目的・戦略なき戦術は、果たして妥当な戦術と言えるのかどうか
目的・戦略なき戦術は、それが適切か(妥当か)どうかを決めることはできない、とは言えそうです。
目的・戦略なき戦術を考えて思い出したのは「かけ間違えたハシゴに効率よく登るようなもの」といった例えです。この例えが出てくるのは7つの習慣でしたかね。いや、少なくともハシゴをかけている以上は目的があるのだから目的・戦略なき戦術とは少し違うような気も…
とはいえ、別なところからは「効率よく登れば、早く違う場所だと気づけ、また別の場所に登ることができる」ようなことも見聞きします。
「どっちやねん」という感じですが、
- 「かけ間違えたハシゴに効率よく登るようなもの」→「望んでいる結果」に問題の原因がある人に向けての進言
- 「効率よく登れば、早く違う場所だと気づけ、また別の場所に登ることができる」→「次にとるべき行動」に問題の原因がある(行動がとれない)人に向けての進言
こういう時に臨機応変(ケースバイケース)という便利な言葉を思い浮かべます。
ある本によると、企業に余裕がなくなると、「うちには、戦略が足りない」など戦略という言葉を使い、余裕がある場合、ビジョンと言ったりするそうです。同じ概念を違うことばで表示されると理解するまで時間がかかってしまいます…
余裕のある、なしで同じ概念を違う言葉で前者をビジョン、後者を戦略と表現する。なんとなくわかるような気もします。ビジョンには、あまり時間の概念が含まれてなくても成り立ち、戦略には時間(期限)の概念が含まれているように感じられる(?)
そういうと、タスク管理という響きも余裕がない気がします。余裕のあるタスク管理を表現する言葉とは、果たしてどんな言葉が出てるのでしょうか。