GTDのナチュラルプランニングがプロジェクトの管理?
『ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編――仕事というゲームと人生というビジネスに勝利する方法』 - タスク管理のScrapboxより
ワークフローモデルで視野に入っていながらも、直接対応できていないものがあった。それは「プロジェクトの管理」である。「収集」したものを「処理」するには、少し上のレベルからそれらを見渡し、それぞれに必要なプロジェクトを見極め、それらを進めるために必要な次の行動を決めなければならない。
そのためのナチュラルプランニング=プロジェクト管理のプロセスであると。
気になって原書の同じ箇所を確認してみる(Kindle版 28/310ページ)と、project planning and managementや“project planning”という単語がありました。「プロジェクト管理のプロセス」と訳してある箇所は、原書では"planning processes"とありました。
なんとなくプロジェクトの管理(management)というよりはプロジェクトの計画(planning)寄りな気がします。「計画」も大きくみて「管理」のうちに含まれる(「管理」の一プロセスとしての「計画」)という考えなのかもしれません。
つまりナチュラルプランニング=プロジェクト管理のプロセス=プロジェクトの計画であると。
ナチュラルプランニングが「プロジェクトの管理」?ということに疑問を持って書き出してみたものの至極当たり前の結論でした。
近くのタスク(アクション)、遠くのビジョン
タスク管理し始めると、「やりたいこと」が「やるべきこと」に変わってしまう問題と、「タスク整理したら満足した」問題について、小鳥遊さんの以下のブログ記事を読み進める前に、さて自分はどのようにこの問題に取り組んでいるのだろうと考えてみたくなりました。記事中のさがっとさんのツイートは拝見しておりましたが、当時は「それな!」で済んでしまっていました…
タスク管理し始めると、「やりたいこと」が「やるべきこと」に変わってしまう問題と、「タスク整理したら満足した」問題に向き合う時がとうとう来たか・・。
— さがっと (@sagattosaga) June 10, 2019
まず、タスク管理し始めると、「やりたいこと」が「やるべきこと」に変わってしまう問題です。「やりたいこと」を思い浮かべている時には、そこに含まれている「やるべきこと」が案外見えていないもののように思えます。これも一種のバイアスでしょうか
それが、タスク管理を始めると見えるようになってくる。そうすると「やりたいこと」だったのに「やるべきこと」に変わってしまったように思える。さて「チーズはどこに消えた」ではないですが、「やりたいこと」はどこに消えてしまったのでしょうか。それは、まだ遠くの方にあるはずの「やりたいこと」が見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
例えば、戦国大名が、天守閣を持ったお城を建てようと思ったとしましょう。さぞや天守閣からの眺めは素晴らしいでしょう。やりたいことです。では、お城を建てようとします。まずは石垣のために何万個という石を積み上げないといけません。来る日も来る日も石を積みます。すわ、やるべきことです。
タスク管理をするときに、近くにはアクションのレベルまで分解したやるべきこと、遠くにはビジョン(原風景のようなもの)としての形を残したやりたいことにしておく。その繋がりをみせてくれるのが自分のタスク管理かなと思いました。さしずめ、近くのやるべきこと(タスク)、遠くのやりたいこと(強いていうならビジョン?)(どこかに韻が似ていた言葉があったと思い出したら「遠くの親戚より近くの他人」でした。)
「タスク整理したら満足した」問題も、遠くのやりたいこと(ビジョン)に、近くのやるべきこと(タスク)が繋がっていることを意識できれば、もっと満足させてくれるものが先にあるんだという気持ちになるのかなと思いました。
タスクとは何か。タスクとアクションは同じなのか。
タスクとは何か。タスクとアクションは同じなのか。
タスクの定義はその人が対象をタスクと思えるかどうか、そして実際にタスクとして扱えているのかどうか、なので人(能力や環境)によってまちまちだと思います。
よくある例えが「企画書を作成する」ベテラン社員ならば問題なくタスクと思えて、処理できるでしょうし、新入社員にはそれをタスクとして扱おうにも実際には複数のタスクが組み合わさってうまく扱えない現実があるかもしれません。
タスクとアクションは同じ時もあるが、大抵はタスクの方が大きい粒度な気がしますし、タスクが複数のアクションの時もありそうです(GTDではプロジェクトの定義になってしまいますが)
タスク≧アクション
(GTDでは、体を使った(次の)行動(森平訳)、物理的なアクション(田口訳))
GTDでのアクションは、体を使った、物理的な動作ということになりそうです。とはいえ、アクションの定義も人による部分が、かなりありそうです。先ほどの企画書を作るではパソコンの電源を入れるというアクションからにするか、企画書用の新しいファイルを作成するアクションでいいのか、どちらをアクションにするかはその人の手のつけやすさで、違いは出てきそうです。
iOSのOmniFocusのインボックス強化にiPhone 8
現在、iPhone 6sを使用しているのですが、どうもiOSのOmniFocusの動作がもっさりするので、ちょっとアプリを起動しようと思う時に「あとでいいや」と思ってしまうのがネックになっています。定期的にアーカイブに古いデータを移動はしているのですが、同期にも少し時間がかかります。
iPhoneにそこまで高機能性を求めておらず、インボックスへの3D touchを多用しており、今後3D touchが廃止されてゆくのであれば、今この時にiPhone 8を買っておくべきなのではということが頭を駆け巡ります。
しかも明日は年に一度の父の日(ビッグチャンス!(仮))
iPhoneの買い替えではなく、インボックスをOmniOutlinerにすることで乗り切れるかな?とも思うところですが、iPhone8でOmniFocusがキビキビ動いているのを聞く機会があると、また揺れ動きます。とはいえ、自分のタスクで膨れ上がったOmniFocusが動いてくれるのかと行った疑問は残ります。
iPhoneの新型が発売されることが多い今年の9月に合わせて、現行のiPhone8の値下げされるであろう時にまず購入。その後、iPhone8の後継機が2020年3月に発売されるかもしれない(ただし3D touchは廃止されるであろう)ので、それも購入。で、妻と自分とでどっちを使うか検討する、という予定を立てました(予定は未定ですが)
タスク管理という範囲
タスク管理というものは、戦術でありながら同時に、そのタスク管理の対象は、戦術より大きい戦略や目的をも扱うという矛盾を兼ね備えるのでしょうか?
- 前者は文字通りタスク(だけ)を管理する狭義のタスク管理
- 後者は広義のタスク管理
さながらミクロタスク管理とマクロタスク管理(ちょっと違うように思えますが)
行為としてのタスク管理とジャンルとしてのタスク管理 - タスク管理のScrapboxより
「タスク管理界隈」という言い方はするが、「プロジェクト管理界隈」とか「ビジョン管理界隈」とかは言わない。
むしろ、それら一切を包括したものが「タスク管理界隈」と呼ばれる。
つまりこれは、ジャンルとしてのタスク管理と言える。
「ジャンルとしてのタスク管理」というのは、なるほど納得です。
行為としてのタスク管理とジャンルとしてのタスク管理 - タスク管理のScrapboxより
タスク・プロジェクト・目標などを含んで、「やること管理」と呼んでもいいかなと思ったが、むしろ混乱は深まりそう
「やること管理」と呼ぶことは、タスク・プロジェクト・目標などをうまく包含できているようにも思えました。
タスク管理をしている(タスク管理ができている)という状態とは
いや、論点がずれているな。「タスク管理は、戦術かどうか」という論点で言えば、タスク管理は戦術として始まるし、そのまま戦術で留まる場合もあるが、つきつめていくと、タスク管理が要請する戦略があり、またそれによって見出される目的もある、という表現が自分的にはピッタリきます。
なるほど、前回の例の続きで考えるとしっくりきます。
「違うよ、自分はダイエットがしたいんだよ」という目的になり、「じゃあ、そのために今よりもっと運動負荷の高いことをしよう」と戦略を考え、「でもこれ以上運動をするのはちょっと大変だから、少しづつ運動負荷を高めていこう」と戦術をとる。
タスク管理そのものは戦術であるが、タスク管理をしている(タスク管理ができている)という状態は、目的ー戦略ー戦術ー活動の一気通貫した状態を維持できているということに他ならない。
これは、タスク管理の対象が粒度(「タスク」という粒度、「プロジェクト」という粒度、「戦術」という粒度、「戦略」という粒度、「目的」という粒度)の違いであるのかもしれません。
目的・戦略・戦術とタスク管理
この図で見るとタスク管理は戦術ではないですね
タスクは「活動」で納得ですが、GTDでのプロジェクトの定義は、複数のアクションの集まりであり、直接実行することができないという考えに染まっているため、プロジェクトが「活動」に含まれていることに若干の違和感を感じてしまいます。
それはともかくとして、果たして「タスク管理」はどこに分類されるのかということが気になります。
- 単純にタスクを管理しているよと「プロジェクト」に分類される
- いやいや、タスク管理でいろんなプロジェクトも含めて管理しているよと、「プログラム」に分類される
といったようにやはり人によって様々な場所に位置しそうです。
また、目的または戦略なきタスク管理であっても、合致する目的が見つかれば、適切と呼ぶことも可能かなと思います。
本人が意図しない、たまたま別の目的・戦略に合致するタスク管理が行われているとして、本人にしてみれば意図していない訳ですから、人から「適切だよ」と言われても、「違うよ、自分はそれを目的にしていないんだよ」という客観的には適切と呼べても、主観的には適切と思えないということはありそうな気がしました。
例えば「運動する」というタスクを管理していて、ダイエットを目的として運動しているのと、健康維持を目的で運動しているのと、運動負荷が違ってくると思います。ダイエットを目的として運動しているつもりなのに、実際は健康維持ぐらいの運動負荷でしかなったとして、人から「健康維持には適切だよ」と言われても、「違うよ、自分はダイエットがしたいんだよ」ということになりそうです。